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2005年03月 アーカイブ

2005年03月01日

1.12GB

1.12Gb

simonさんに教わって注文してたもの。
最初,頼んだのと違うものが届いて,返品&再送。アメリカの連休が重なったりして,ようやく今日装着。海外通販の泣き所。必ずしも最安値ではないが,誤品への対応も悪くなかった。

結果オーライで満足。simonさん,ありがとうございました。

明らかにディスクアクセスが減った。今は冬だから感じないけど,熱問題にも効果があるかも。

というわけで,たぶんTigerまではこのままだな。

で,512MBのメモリが余った。
欲しい人は連絡ください。
行き先が決まりました。

ホッチキス購入

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170枚綴じられるぜ

2005年03月03日

『プロジェクト・ブック』

が出ました。
Pbcover
阿部仁史,小野田泰明,本江正茂,堀口徹編著
プロジェクト・ブック
彰国社,2005
ISBN: 4395241018

定価2,500円。

2005年03月06日

「チャールズ&レイ・イームズ」展

を見てきた。


「チャールズ&レイ・イームズ」展
創造の遺産

東京駅八重洲口の大丸百貨店12階で開催中。

店内の告知も少なく,地味な会場であった。
しかも会場内のビデオの上映装置の一部が壊れているため,入場料は無料。

入場無料の措置がとられているにもかかわらず,チケット売場で,そのことには触れぬまま,会員になって年間パスポートを買うとオトクですと薦められた。断って,今回だけのチケットをと答えると,実は今日は無料ですので……というのであった。なんだそりゃ(笑)

展覧会そのものは,オリジナルのスケッチや試作品なども豊富で楽しめる。

仙台空中写真公開

国土地理院の空中写真閲覧が地域を拡大。北海道以外のほぼ全国。
もちろん仙台も入ってます。
特に仙台は昭和30年代のものもあり,新旧比較ができる!

空中写真索引(仙台)

仙台の都市計画系研究にはこれらの写真は必須資料となります。

いけねえ。こんなことしてる場合じゃないんだが

そうなんです。年度末だし。

2005年03月07日

ウォークマン携帯


Sony Ericsson、“ウォークマン携帯”発表
:

Sony Ericsson Mobile Communicationsは、200万画素カメラを搭載し、“ウォークマン”ブランドの1つに位置付けたGSM方式の携帯電話「W800」を発表した。2005年第3四半期に登場する予定。

まあ,スペック的には普通のものなんで,ウォークマン・ブランドってのが唯一の話題。
GSMだから日本では発売されないってのも話題といえば話題(笑)

ウォークマンって,いまでもそんなにブランド価値があるんでしょうかねえ。

キドカラーとかクイントリックスとかならいいかも。

2005年03月08日

Suica ポスター

「Suicaポスター」は、ポスターの横に取り付けてあるリーダーをSuicaでタッチすると、ポスターに掲載されている商品・サービスの詳細情報やキャンペーン応募情報、企業の情報等が携帯電話にメールで送られてくるという新しい広告媒体です。送られてきたメールから商品・企業のサイトに入ることはもちろん、壁紙や着メロ、ゲームといったオリジナルコンテンツのダウンロードを行うこともできます。

関連記事:
ITmediaモバイル:JR上野駅でSuica利用を促進するキャンペーン
JR上野駅にSuica対応の自販機やコインロッカーが登場
高木浩光@自宅の日記 - Suica番号がメールアドレスと結び付けられ始めた
固有IDのシンプル・シナリオ


ドコモの「モバイル社会研究所」での研究成果。

非接触ICカードでは読み取り機が高機能化しており、使用履歴、残額などはそばに近づければ読み取れてしまうと警告。携帯電話をポケットに入れるユーザーは4割に上るが、満員電車などでこっそり読み取り機を手袋をした手の中しのばせ、相手のポケット越しに読み取ることも可能だという。使用履歴だけでも、自分の行動パターンが相手につたわることになり、泥棒、ストーカーなどにとっては格好の情報源になってしまう。

2005年03月09日

おたく:人格=空間=都市

東京都写真美術館 グローバルメディア 2005をみる。ヴェネツィア・ビエンナーレの帰国展。

通路の狭さ,観客の荷物の大きさ,聞こえてくる会話,陳列されているアレコレ,なにをとってもフツーに秋葉原(笑)

居心地悪そうにしているアート系の人たちがチラホラいたが,居心地悪そうな人が一定数いるのも逆に秋葉原らしい。

秋葉原らしいなと感じられたということは,つまり成功なのでしょう。よくできた民俗展示だといえる。

ただ,その秋葉原らしさは,会場に少なからずいた「おたく」のおかげということもあるから,ヴェネツィアでの展示は,どこか漂白されたような感じがあったのかもしれないと思う。

「わび」「さび」に続いて「萌え」,さらに「へたれ」「ぷに」と,日本の美学のキーワードとして掲げられいて,おもわず笑ってしまったけど,たしかにそうだと納得もした。

一番印象的だった展示品は,壁面に張り出されていたビッグサイトでのコミケの俯瞰写真。すげー,びっしり。行って見てー。このところ,空中写真とか本城直樹とか,そういう映像に敏感になっているのである。

ジャパンファウンデーションの公式サイト
おたく:人格=空間=都市

アーキラボ展

展覧会のはしご。よい天気だったので,恵比寿から六本木まで歩く。

アーキラボ:建築・都市・アートの新たな実験展 1950-2005

これはなんとも腹一杯となる展覧会。まじめに取り組むと1時間や2時間ではすむまい。
もうすぐ終わるので,見てない人は急ぐべき。総花的ではないところもよい。

青春時代にキャーキャーいって見てた模型やドローイングの本物がずらりとあって,ベルリン・シティ・エッジの模型ってこんなにでっかいのかあ,モーフォシスの真似して「さびカラー」の模型もいっぱいつくったなあ,とかとか私的には非常にグッとくるものがあった。槇さんの「ゴルジ体」もあった。

懐かしいものや「これが本物か!」的なもの以外では,クロード・パランとヴィリリオの作品が詳しく紹介されていて私には収穫だった。

それにしてもこれほどの作品を収蔵しているFRACサントルってのは本当に凄い。実際の建物はいろんな理由で案外すぐに失われてしまうものだから,模型や図面をきちんと収蔵して未来に伝える美術館の役割はとても重要だ。建築の模型をコレクションとして収蔵している美術館は日本にどのくらいあるのだろうか。

展覧会の詳細はこちらも。
JDN /JDNリポート / 「アーキラボ:建築・都市・アートの新たな実験展 1950-2005 (1)」

ところで,六本木ヒルズは一大観光スポットなので,この展覧会には修学旅行生や団体旅行客もたくさん来ていた。正直いって,あまり楽しんでいるようには見えなかった。わかりやすい工芸品的な建築模型はあんまりなくて,コンセプチュアルな表現のものが多かったせいもあろう。会場から出て行く途中に,都市の模型の展示もあるんだが,こっちのほうがみんなの顔が断然輝いているのが印象的だった。王の欲望と建築家の欲望はちょっとずれていて,そのズレを精密に組み立てるのが建築家の(やや卑屈な)欲望のありようなのかも。

この模型でみた防衛庁跡地に建設中の三井ビル,六本木ヒルズより太くて高くて四角い。両雄並び立つとかなりの圧迫感だろう。

MOLESKINE Reporter

縦開きのモールスキンが出るらしい。
MOLESKINE.jp レポーター

イラストのように表紙がぐるっと裏まで回るように開くとすると,製本から表紙から全然違うものになるのだろうか。楽しみだ。

ギャラ間 阿部仁史展オープン

展覧会はしごの3件目。

GALLERY・MA 阿部仁史展がオープン。

オープニング・パーティーはたいへんな盛況だった。

濃いグレーに塗られた特徴的な壁面のエレメントが「肉屋」のように吊られている3階と,白いカットモデルがやはり吊られている4階。非常にストレートで力強いインスタレーションだ。

とはいえ,今日は混み過ぎで展示を堪能するとはいかなかった。あらためて見にいくつもり。

4階の模型は学生たちが中心となって製作した。非常に精度の高い模型に仕上がっている。宮城大学の学生も多くこの模型製作に参加していたから,いろいろ勉強したことだろう。その成果を課題でも見せてくれることを期待している。

ヒマナイヌ - inCLUDE

ヒマナイヌ - inCLUDE "友人や街で出会った人に「何が入っているの?」と聞かれたら、inCLUDEのファスナーをそっと下ろしてあなたのお気に入りを見せてあげましょう。"

六本木のABCで衝動的に。
普通のペンを入れたってよさそう。
talbyは入らなかった。

どこかで春が…

春の告白

春の訪れを言祝ぐプロジェクトがはじまっています。

カルフール撤退。買うのはイオン

YOMIURI ON-LINE / 経済: 小売業で世界2位の仏カルフールが日本国内の8店舗すべてを大手スーパーのイオンに売却する方向で最終調整に入っている
ダイエーを買い損ねたもののカルフールを買う「ジャスコ文明」(by 三浦展)。 首都圏の大規模イオンSCは,カルフールを置き換える形で登場するということになるのかな。

うちのまわりはもうジャスコだらけ。

追記:
日経映像ニュースによれば,当面はカルフールの名前を残す方針らしい。

2005年03月11日

東京都のFM実践事例

私も第二回でお邪魔した青森県のファシリティマネジメント研修会の第三回の記録が公開された。

講師は,東京都財務局建築保全部技術管理課  課長 山本 康友氏。
演題は,「FM最先端自治体:東京都における実践と効果」。

東京都のFM実践事例が多方面から率直に紹介されており,大変参考になる。
スライドも公開されており,こういう資料はなかなかないのではないか。

予選

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結果

2005年03月12日

ドコモ OnQ iF賞

ドコモの放送連動試作モデル「OnQ」が独工業デザイン賞受賞:

今度の空間術講座で講師をお願いしているhttp://www.lleedd.com/の山中俊治さんの仕事。

Leading Edge Designで,デモビデオが見られるんだけど,携帯電話というよりは,地上デジタル放送のワンセグ放送なんかを利用することにフォーカスしているようで,解像度のかなり高いディスプレイを積んでいるみたいだ。ヒンジやiPod風のダイアルやボタンなど円形の要素が同心軸上に重ね合わされているのがミソか。スピーカーはどこ?

ドコモのプレスリリース
放送と通信との融合を目指した未来コンセプト「OnQ」が「iF product design award 2005」を受賞

firetunes.org | blog | days経由。

Super shuffle

Super shuffle
shuffle + FM tuner + voice recorder

さすがに,これはまずかろう(笑)

追記:
ブラフでした。ひっかかったぜ。

2005年03月13日

一次審査

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104→10

2005年03月14日

マルセル・デュシャンと20世紀美術

横浜美術館:マルセル・デュシャンと20世紀美術 -概要- :
http://www.yma.city.yokohama.jp/kikaku/duchamp/index.html

これはぜがひでも。

しかも映画も!

デュシャンが携わった作品や同時代のアヴァンギャルド映画、デュシャンをモチーフにした映画など、デュシャンと前衛芸術をめぐる映画全16作品を上映。

Information Design?!: 「マルセル・デュシャンと20世紀美術」展 経由。

追記:
見た。よかった。幸せ。
デュシャンが面白がったような面白がりかたをしながら,私もやっていきたいと思った。

小品もふくめてかなり集められている。「階段を降りる裸体 No.2」や「停止原器」が見られてうれしかった。「大ガラス東京バージョン」はひさしぶりに見たが,東大にある時より小さくみえた。「遺作」はステレオ画像でレプリカ?展示されている。覗き穴のある扉面は白いペンキの壁に写真を投影しているので,穴を覗こうとすると頭の影で扉の映像が消える。すると,ちょうど穴の下の鼻の当たる部分のペンキが剥げているのが見えた。滝は動いていない。穴を覗く順番の列が出来ているのだが,何が見えるのか知らなかったのであろう覗き客が,実に微妙な顔で振り返るのがまた可笑しい。あの苦笑いのようなものこそが,デュシャンの真骨頂なのではないか。

あまり期待していなかったがオマージュ作品もよかった。
特に,リヒターの「エマ:階段を降りる裸体」と,展覧会の英題がその複数形であるところのハミルトンの「A Mirrorcal Return」がよい。それだけだとヌードが好きなだけだと言われそうだから,素晴らしくスタイリッシュなコスースの「一つと三つのショベル」も挙げておこう。

2005年03月15日

Brain Computer Interface

PICSY blogで,神経接続(Brain Computer Interface)についてまとめたエントリーが出ている。

BCIとは,要するに神経とコンピュータを直結しようという技術。『ニューロマンサー』だな。今やこれがSFから科学,ビジネスへと急展開しているという。

ドッベル・ビジョンは外部の情報を脳に入れる技術の先駆けだが,今ではインプットだけでなくアウトプットもやるようになっている。Duke UniversityのNicolelis Labによる猿がロボット・アームを動かす実験が有名。こんなイメージだ。

身体を経由しない情報のやりとりが行われるBCIは,建造環境へのインパクトが極めて大きい。いろんなことの前提がガラッと変わってしまう可能性がある。情報技術時代の身体と環境のデザインについて考えるのならば,直視してフォローしておかねばならない技術だろうな。

2005年03月16日

学生による授業評価:空間と情報, 2004年度後期

総合評価 4.3点(5点満点)

投票41名。

自由記述

「私にとって,興味を持つものが多い授業でした。多くのことが分かっておもしろかったです。」
「興味深いテーマが取り扱われていることが多く,毎回授業を楽しみにすることができた。」
→ほか,授業内容が興味のあるものだったという回答が多かったので喜んでいます。

「前と後ろのつながりがしっかりしててよかった」
→これは意味がよくわからない。各回の講義のまとまりがよかったと言ってくれているのでしょうか?それとも前後の回とのつながりのことかな。

「休講が多かったのが残念だった」
→学期中に国際ワークショップが重なったりしましたので,休講が多くなりました。すみません。

「90分間きっちり講義されていてよかった」
→話しきれずに,ハンドアウトにはあるのに端折ったことも少なくなかったのは反省しています。

ちなみに、「空間と情報」は選択科目なので、授業に不満な人は最後まで出席していない=アンケートに参加していない場合もあり、嫌でもとらざるを得ない必修科目を含む全科目平均よりは評点が高くて当然ではあります。

学生による授業評価:公益施設設計事例,2004年度後期


総合評価 4.5点(5点満点)

投票 20名。(うち事業計画学科が17名)

自由記述

「休講が多いのはなんとかしてほしい」
→学期中に国際ワークショップが重なったりしましたので,休講が多くなりました。すみません。

「欠席したのときの配慮(HP上にある)や,ディベートの経験があったりと,ためになる授業でした。また,パワーポイントやレジュメも分かりやすく丁寧に凝ったつくりでした。」
→科目ごとのホームページを作って,ハンドアウトなどを提供しているのですが,これは役に立っているようです。

「この講義で一番おもしろかったのは,何と言ってもディスカッションでした。ただ討論をするのではなく,制限時間を設けるなど形式にのっとって進行されたおかげで内容の濃いものになり,自分の意見を考えるよい機会になりました。」
→ディベートを楽しんでもらえたようであればうれしいです。単純に考えてよしとしない,というのが大事だと思います。

「普通の社会学だとグダグダするところを建物のタイプを考えると自然に考えられるのはおもしろいと思った。計画(学科の学生)が設計事例をとるなら,これがやりやすいと思う。」
→グダグダじゃない社会学もたくさんありますよ(笑)。まあ,公共建築は誰でも知っているし利用経験もある対象だから,取り付きやすいと言うことはあります。

ちなみに、「公益施設設計事例」は選択科目なので、授業に不満な人は最後まで出席していない=アンケートに参加していない場合もあり、嫌でもとらざるを得ない必修科目を含む全科目平均よりは評点が高くて当然ではあります。

学生による授業評価:ファシリティマネジメントII,2004年度後期

総合評価 4.2点(5点満点)

投票数 15名。

自由記述

「ワークショップがたくさん授業の中に含まれていて,楽しかったし,深く考えるのに有効だった。」
「ミニWSなど,毎回面白かったです。今後も哲学,心理学,社会学などの視点を交えた授業をしてほしいです。」
「様々なブレストが,意見を引き出す方法として実際に体験できた。」
→この授業では,いろいろな「会議の技法」を試しました。会議の創造性を高めることはあらゆる組織の課題です。うまくいったのもあるし,失敗したのもある。もっと実験的な手法も試してみたいと思っています。おもしろかった手法を授業以外の場でも使ってみて下さい。

ちなみに、「ファシリティマネジメントII」は選択科目なので、授業に不満な人は最後まで出席していない=アンケートに参加していない場合もあり、嫌でもとらざるを得ない必修科目を含む全科目平均よりは評点が高くて当然ではあります。

学生による授業評価:施設設計製図EI,2004年度後期

総合評価 4.4点(5点満点)

投票数 8名

自由記述
「作業環境改善のお力添えをお願いいたします。」
→これは,作品制作のための作業スペースや部屋の利用時間などの環境が,かなり厳しいという現状への苦情であると理解しています。プロッタなどのコンピュータ関係は他大学に比しても恵まれている方だと思いますが,模型等を置いておくことが出来ない,短期間であっても作業スペースの占用が許されないなどの現状には問題が多いとスタッフ側も認識しております。改善にむけて,働きかけを強めるとともに,できることはやりたいと思っているところです。

ちなみに、「施設設計製図EI」は選択科目なので、授業に不満な人は最後まで出席していない=アンケートに参加していない場合もあり、嫌でもとらざるを得ない必修科目を含む全科目平均よりは評点が高くて当然ではあります。

学生による授業評価:施設設計製図EI,2004年度後期

総合評価 4.4点(5点満点)

投票数 8名

自由記述
「作業環境改善のお力添えをお願いいたします。」
→これは,作品制作のための作業スペースや部屋の利用時間などの環境が,かなり厳しいという現状への苦情であると理解しています。プロッタなどのコンピュータ関係は他大学に比しても恵まれている方だと思いますが,模型等を置いておくことが出来ない,短期間であっても作業スペースの占用が許されないなどの現状には問題が多いとスタッフ側も認識しております。改善にむけて,働きかけを強めるとともに,できることはやりたいと思っているところです。

ちなみに、「施設設計製図EI」は選択科目なので、授業に不満な人は最後まで出席していない=アンケートに参加していない場合もあり、嫌でもとらざるを得ない必修科目を含む全科目平均よりは評点が高くて当然ではあります。

学生による授業評価:施設設計計画E(公益施設等)

総合評価 4.8点(5点満点)

投票数 21

自由記述
「建築を記号的に読んでいくというのは雑誌や文献で目にするのですが,この講義を受けるまで,あまり理解できない分野だっただけに,とても役に立ちました。しいていうなら,もっと早い段階で受講できれば課題にもっと活かせたような……」
→何も設計してみたことのないうちに,いきなり記号論をやっても全然ピンとこないでしょう。いくつかの課題をやってみて,問題意識が高まっているからこそ,理解できる授業だったというのも,また確かなわけです。

ちなみに、「施設設計計画E」は選択科目なので、授業に不満な人は最後まで出席していない=アンケートに参加していない場合もあり、嫌でもとらざるを得ない必修科目を含む全科目平均よりは評点が高くて当然ではあります。

2005年03月18日

DMC-LZ2

ひさびさにデジカメを買った。
パナソニックのDMC-LZ2

単三電池駆動,手ぶれ補正,光学6倍ズームと,わかりやすい「ファミリーむけ」仕様。もっさりと大きくて厚く,スタイリッシュさのかけらもないが,逆に言えば余計なことは何もしていない質実剛健なスタイリングでむしろ好ましい。昔ながらのカメラって感じ。iPhotoのアイコンに似てる。

独立したスライド式のパワースイッチがわかりやすくていい。逆に,手ぶれ補正のオンオフスイッチも独立しているが,そんな操作は滅多にしないんだからメニューの下でいいはず。手ぶれ補正機能をアピールするためだけのものだ。

銀と黒があり,黒にする。

追記:
ちょっとまとめて使ってみた。手ぶれ補正は非常に効果があるのを実感。6倍のズームを雑な構えで撮っても平気だ。あと,使ってみて便利だと思ったのは縦位置検出機能。縦に構えて撮った写真には,その旨記録される。本体のディスプレイで再生するときも縦に表示される(画面の左右は黒くなる)。iPhotoでも縦位置の写真として認識された。手ぶれ補正ジャイロの派生機能?

詳しいレビュー記事:
ITmedia PCUPdate:小型なのに光学6倍/手ブレ補正/乾電池対応——LUMIX「DMC-LZ2」 (1/4)

PAOroom,WBSに登場

3月15日のWBS -トレンドたまご-PAOroomが登場しました。杉本先生の研究の紹介なんですが,このデモが行われているのが,ゼロスタの松川昌平さんと中西泰人さんと私とで設計したPAOroomであります。

WBS,仙台では放送されてません……orz

2005年03月19日

『現実の向こう』

を読む。

大澤真幸『現実の向こう 』春秋社,2005

大澤が書店で行った講演をもとに書かれている。
現代社会の諸問題に対するいくつかの「実践的」で具体的な「提言」をふくむ,という。

たとえば,北朝鮮の民主化について。

北朝鮮の民主化は夢のように思われるが,むしろかのような非民主的な政治体制がいまも残っていることのほうが不自然である。

「だから,北朝鮮には,「お前はすでに死んでいる」ということを教えてやればよいわけです。[p.49]」

北朝鮮でなぜ革命がおきないかといえば,外に逃げられないからである。

1989年の東欧民主化のときに決定的だったのは「汎ヨーロッパ・ピクニック作戦」に見られるように「西側ヨーロッパが,東側から流れてくる大量の難民を受け入れる覚悟をした」ことだった[p.49]。

そこで,「日本と中国と韓国とが,北朝鮮からの難民を誘発し,そして彼らをいくらでも受け入れる覚悟を決めるのです。[p.51]」

これによって,北朝鮮の現体制が内側から崩壊し,民主化する可能性が出てくる。「いざとなったら難民になって外へと逃げられる。亡命できる。そうなると,内側で民主化運動の種が撒かれるのです。[p.51]」

日本としては,中国や韓国のことは決められないので,まず率先して,「日本は,北朝鮮からの難民をいくらでも受け入れる用意がある。何千人だろうが何万人だろうが,受け入れる用意がある[p.51]」と宣言する。中国政府を説得して,中朝国境を越えてきた難民を北朝鮮ではなく日本に送ってもらう。

こんな宣言をしたら本当に日本に何万人も難民が来てしまって困ったことにならないか。

そうはならない,と大澤はいう。なぜなら,「日本が難民受け入れを宣言すれば,絶対に韓国も受け入れることになるから」だ。日本が難民を受け入れているのに,韓国が,「では,日本が頑張ってください」とはいえない。北朝鮮難民だって日本ではなく韓国に行きたい。結果的に難民の多くは日本ではなく韓国に行くことになる。

韓国の負担は大きい。しかし,それでも東欧民主化の時と同様に覚悟を今しなければならない。そして,このとき韓国に生じる負担に対して,日本が経済援助を行う。朝鮮半島分断の原因は日本の植民地化にあるのだから,統一のコストを日本が負担するのは合理である。

この計画のミソは,アメリカの助けなしで実行できることである。「これがうまくいけば,僕たちが日米安保に対して持つ,いわれない依存感から解放される可能性がある。[p.53]」

大澤の議論には,具体的に想定される人数や金額が出てこない。ロジックだけが提示される。

提示されるロジックはどれも興味深い。荒唐無稽ではないかという批判もあるだろうが,そうきたか,というのが次々くる。その面白さを紹介しようとすると全文を書き写すようなことになりそうなので,読んでもらうしかない。上記の「北朝鮮民主化計画」にしたって,その前と後ろに,日本とアメリカの関係,国連安保理のあり方,平和憲法の存在意義などなどが綿密に織り込まれたロジックが提示されているので,とても全貌を示せてはいない。

内容とは別に,論理展開の「息の長さ」ということを思いながら読んだ。あるいは「バッファの容量」とでもいうべきか。いわゆる難しい本というのは,息の長い議論が続く。とりくんでいる問題が複雑で難しいからである。簡単に結論がでるような議論は,最初から問題が簡単だったか,あるいは,簡略化された偽の問題を解いているのではないかと疑ってよい。

息を長く考える,または息の長い議論につきあうということの練習として,本書での大澤の議論のステップは,ちょうどいい長さなのではないかと思った。そういう意味ではおすすめ。薄いし。

PACKMAN

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500円玉対応!
ああ,絶対すぐに飽きると分かりきっているのにクリックせずにはおれない……

2005年03月20日

手紙の折り方

***Someday Someplace***に,実に様々な手紙の折り方が紹介されています。
「一発1」を折ってみた。爽快。フライヤーに使えそう。
「セーラー服」も素晴らしい。サンプルの紙がルーズリーフだったりするのもグッと来る。

それにしても,

  手紙を書いて折って渡す

最後にそれをやったのはいつだったろう。

授業用のwebサイトの容量のことなど

来年度の授業のデータを作ったので,大学が用意してくれているwebサーバとFTPでシンクロさせようとしたら失敗した。割当容量を使い切ったらしい。だいたい850MBぐらいだ。

事務局情報班から,メールスプールを溜め過ぎだから消して下さいと何度も警告されてきた私である。騒いでも無駄なことはわかっている。もっと割当を寄越せなどと掛け合ったりはしない。宮城県はグーグルとは違うのである。

嬉しいニュースもある。2005年の3月23日に大学のネットの外線が1.5Mbpsだったのが100Mbpsになるのである。2005年である。ずっとどこかに解決が難しいボトルネックがあるんだと思いこんでいたオレが馬鹿だったことがわかったのが嬉しい。

授業用のデータで断然大きいのはゼミの学生の卒業研究のアーカイブである。これが460MBぐらいあって半分以上を占めている。

ブログは研究室の中にあるパソコンをサーバとして直接管理して動かしている。こっちには割当制限はない。卒業研究のデータはこっちへ引っ越すことにする。

2005年03月21日

Space Warp

Spacewarp

今年のゼミ生たちが卒業記念にくれました。さっそく息子らとともに製作。微調整に微調整を重ね,なんとか動作させました。球がコースを一周してエレベータへスカッと戻ってきたときはちょっと感動。

もっと洗練されたカーブを描ければいいのでしょうが,動かすのがやっと。エレベーターなんか傾いちゃってますけど。

なにしろ本当にギリギリのバランスで作動している——とくに水平に近い部分——ので,一部の調整が全体に影響を与えてしまう。相互依存的なネットワーク構造を体感する玩具。

おもしろい。ありがとう。

アーキグラム展

Mito Archigram

「アーキグラムの実験建築 1961-1974」
水戸芸術館にて。

終了間際の日曜日とあって混んでいた。アーキグラムのメンバー自身が手がけたという,バナーなども大きく使ったカラフルで立体的なインスタレーションは,アーキグラムらしい。ドローイングのひとつひとつを見ようとすると,ちょっと鬱陶しくもある。そういう風にシゲシゲ見たりするな,ということか。全体的にワクワク感いっぱいでよい展覧会だった。

彼らの作業場の再現展示があるのだが,あたりまえだけどコンピュータがないのだった。代わりにたくさんのテンプレートがあった。パソコンのアプリもテンプレートだよなあと思った。

水戸芸術館は久しぶりに行ったけれど,なんとなく身の置き所のない建物だ。写真にあるように,あちこちに所在なげな人が居心地悪そうにしている。パイプオルガンのあるホールには椅子が並んでいるのだが,誰も腰掛けていないのだった。

200円払ってタワーにも昇った。建築の学生らしい人たちがたくさん来ていたのに,タワーに昇る人は皆無だった。アーキグラムを見たら,高いところに昇りたくなりませんか?

クルマで行ったのだが,仙台から郡山いわき経由で片道約300km。子連れ日帰りにはギリギリ。ちょっと遅くなったのと渋滞しているようだったのとで偕楽園の梅見は断念。だが,道すがらの家々の庭にたくさんの梅が咲き誇るのを見た。梅の名所があると庭にも梅を植えたくなるものなのか,それとも暖簾わけのように,梅を分けてもらう習慣があるものなのか。

2005年03月22日

『スウェーデン式 アイデア・ブック』

を読む。渡辺保志さんが紹介しておられたものだ。

フレドリック・ヘレーン『スウェーデン式 アイデア・ブック』中妻美奈子監訳,鍋野和美訳,ダイアモンド社,2005

固定された考え方をゆさぶって,新しいアイデアを出しましょうという話が,やわらかな語り口と,イラストで,絵本のようにまとめられている。よくある話といえばそうだけれども,エピソードも楽しいものがもりこまれている。

大きなナンバーを打ってキーフレーズを並べる手法は,我々の『プロジェクト・ブック 』と通じるものがあるけど,我々の本にはこういう可愛らしさはないな(笑)。

「囚人用ベビーフード」という話。
フロリダでは,春休みになると学生が羽目を外して大騒ぎをするので,警察は対応に追われていた。捉えて留置しても,それがかえってマッチョでクールとされるような風潮もあって,罰を厳しくしてもまるで効果がなかった。そこで署長は留置した学生にベビーフードを食べさせることにした。「留置場帰り」は,もうマッチョでもクールでもなくなった。

「アイデアメーション」というのは,アイデアとインフォメーションをあわせた筆者の造語。誰でも最初に思いつくアイデア,というほどの意味。レンガ一個の使いみちを5通り考えよ,という問題を出すと,「武器」「本立て」「グリル」「ペン立て」「建築材料」のうち二つが必ず答えに含まれているという。そういうものはアイデアとは言わない。「問題は,多くの人がアイデアメーションにすぎないものを素晴らしいアイデアだと勘違いすることです。[p.53]」ああ,耳が痛い。

一度も読んだことのない雑誌を買って読む,というのもよいトレーニングになりそうだ。

丹下健三 逝去

Google News

心不全のため。91歳。
ご冥福をお祈りもうしあげます。

2005年03月23日

『失踪日記』

を読む。

吾妻ひでお『失踪日記 』イーストプレス,2005

アマゾンで売り上げ5位であるから,大変なヒットだろう。それだけのことはあって,確かに猛烈におもしろい。「がきデカ」と「マカロニ」とともにあった絶頂期少年チャンピオンの「ふたりと5人」のあづまひでお(この作品は吾妻にとってあまり楽しい仕事ではなかったことをこの本で知る)が,89年に突如仕事を放り出して失踪し,「コジキ」になり,ガス配管工になり,再び漫画を描くが,アル中となって強制入院させられ……という実話の顛末を,自身を題材とした漫画に仕上げている。アンチヒーロー気取りではなく自虐的でもなく,絶妙の距離感で客観化した自分を笑っている。そこが共感を呼ぶんじゃないか。明日は我が身と感じつつ,でもそれが悲惨なばかりでもないようにも思われ,そういうのもアリなのでは,と。

巻末の対談で,とりみきが絵,特に背景を誉めている。「こういうデフォルメされていて,でも何を描いているかはっきりわかって,しかもまるっこくてかわいい,それでいてちょっと心理的不安まで表現されているようなタッチのある絵[p.197]」だというのだが,それは本当にそうだと思った。とりみきが指摘しているp.50の雪景色は読んでいても感嘆したところだったし,コジキとして残飯やシケモクをあさって歩き回るところの都市空間の描写なんかもとてもいい。p.30の夜中の住宅街で「静かだなァ」とつぶやくコマや,p.76の花見の情景を俯瞰するコマなんかすごくうまいなあ。

手に取って,絵が好ましいと感じられるなら,ストーリーは絶対面白いのでおすすめ。

2005年03月25日

『オレ様化する子どもたち』

を読む。

諏訪哲二『オレ様化する子どもたち 』中公新書ラクレ No.171,2005

学校はそれほど変わっていない。社会が変わったのである。
子どもは,社会の影響をモロに受ける。社会が変われば,子どもは変わる。
諏訪は,「共同体的な子ども」から「市民社会的な子ども」に変わったのだという。

教育は,共同体においては「贈与」としてイメージされるが,市民社会においては「商品交換」として考えられる。

教師たちの意識では教育活動(行為)は「贈与」である。教師の主観からいうと「教え」に見合うだけの勉強(成果)が返ってくることは絶対にないから「商品交換」(等価交換)であるはずがない。「贈与」は実感にぴったりくる。そして,「贈与」は基本的に与える側からの一方向的なものであり,与えられる側に「負債」の意識を与える。[p.80]

学校において社会的な「私」になるより先に,すでに「消費社会」における「消費主体」として自己を確立してしまっているのが「オレ様」である。にも関わらず,学校においては,絶えざる自己変革を求められる「教育の客体」として遇される。このことに耐えるのは難しい。

「市民社会的な子ども」は一方的に「贈与」されることの負債感に耐えかねて,「等価交換」を求め「オレ様」を立ち上げる。

幼児的な全能感に満ちた「この私」から,社会のうちに相対化された「私」への移行は,ある種の挫折として経験されるよりほかない。学校はその場となる。「この私」=「オレ様」が強固なものであればあるほど,この移行は困難である。

極端に言うと,家庭(の親たち)に教養や文化力があって子どもを〔ママ〕「消費主体」の自信を持たせると危険であることを知っていて,なおかつ,人が生きるということは単に経済的な自立を意味するわけではないということを「教える」ことのできる家の子どもたちは,「学び」に向かっていける。家にそういう「文化資本」のない子ども(若者)たちは,経済にただ翻弄されるだけである。もちろん,ここでの「教える」とは,すべての「教える」と同様に,必ずしも「言葉で教える」ことではない。教えるというと,すぐに言葉を想像してしまう人は,あまりにも深く教育の内部に囚われている。[p.222]

宮台真司や上野千鶴子らの教育論を批判する第二部は,取り上げられている論者の議論をあらかじめ知っていないと読みにくいだろう。

内田樹の書評が明快。
内田樹の研究室: オレ様化する子どもたち

2005年03月27日

東大Finkチーム

Mac OS XでUNIXのソフトを使えるようにするFinkというパッケージがあるのだが,日本語で使うにはいろいろ再設定が必要だった。これを日本語対応にまとめる仕事を東大Finkチームがすすめていることが,binWord/blogの「binWord/blog: 東大FinkチームのUNIXパッケージインストーラ」で紹介されていた。

このパッケージはTodai Fink Team Homepageからインストーラが入手できる。

今の仕事が落ち着いたら試してみよう。

『音楽未来形』

を読む。

増田聡,谷口文和『音楽未来形—デジタル時代の音楽文化のゆくえ 』洋泉社,2005

すごく面白い。

書名に反して,音楽産業のここしばらくの動向を予測するようなものでは全然ない。そのつもりで読むと,アマゾンの星一つの書評のような感想を持つことになるかもしれないが,そういう本ではそもそもない。

「本書は,20世紀以降の音楽テクノロジーが,生産や流通,対象,聴取といった音楽を取り巻くコンテクストを,どのように変えていったのかを包括的に検討する試み[p.46]」だと自らいうだけあって,音楽とテクノロジーの関係についてのもっとずっと原初的な議論が展開される。

音楽はもともとは身体的に記憶されるしかないものであった。それが15世紀の楽譜,20世紀の録音,そしてデジタルデータへと,音楽の記録テクノロジーが変化してきた。

録音テクノロジーの歴史は,従来の音楽文化をとらえる基本的な概念枠であった「作曲と演奏」「録音と聴取」「複製と編集」それぞれのあいだの区別を曖昧にする方向に進んできた。[p.92]

このことが,音楽という「作品」のありかたを変え,「音楽を聴くこと」の意味を変え,DJのような新しい音楽行為を生み出し,著作権ビジネスの構造に軋轢を生じさせている。

たとえば,オーディオマニアとクラバーの音楽の聴取のしかたは全然違う。オーディオマニアが,アウラをもった「生の音楽」と,それを消失した「レコード音楽」を二項対立的に考えてしまうかぎり,どんなにオーディオシステムを改良しても,構造的に音楽のアウラは失われ続け,「自分は音楽を聴いていないかもしれない」というジレンマにとらわれ続けることになる。一方のクラバーは,「原音」などというものをそもそも想定していないからこそ,PAから出力されるアンセムにアウラを体験することができる。

アウラを失わせているのは,レコードという複製物ではなく,レコードを通じて音楽を聴こうとする人間の想像力の方である。[p.214]

音楽という客体化されたオブジェクトがあるのではなくて,人間と環境との相互作用のうちに音楽が立ち上がるのだと考えれば,納得のいく話である。ところで,完全を追求する趣味はなんでもそうなんだろうけど,オーディオマニアが構造的に音楽のアウラを取り損ね続けるという指摘はせつないものがあるな。

文化とテクノロジーの関係は,かねてから関心のある領域なので,大変面白く読んだ。

使い慣れたテクノロジーを使い慣れたやり方で用いた音楽を「当たり前」なものととらえ,逆に自分にとって自然化されていない(=なじみのない)テクノロジーの用い方に依存した音楽を「人工的」なもの,あるいは「ニセモノの音楽」と見なしてしまうのだ。[p.98]

なんていう指摘は,「音楽」を別の何かに置き換えても通用しそうだ。
ものをつくるってことの枠組みが変わってきている。
音楽も例外じゃないのだった。
(それが安定していたことなんてない,というのが正しいのかもしれない。)

2005年03月28日

自力で書籍をリッピング

音楽はこの数年で一気にデジタルデータとして流通され利用されるようになったが,映像や書籍は「パッケージソフト」のままであり,デジタルマーケットは一向に立ち上がってこない。特に書籍はダメだ。なぜか。

デジモノに埋もれる日々: 音楽と書籍にみるデジタル化スキームの違いと、ビジネス離陸との関係:
書籍と映像が音楽のあとに続かないのは、この「コンテンツのリッピング事情」に大きな差があるからだと考えられます。映像はまだライブラリ構築に必要なストレージ容量が十分ではないという理由もありますから言い訳がききますが、書籍のほうはそうもいきません。現在のPCやビューワが持つ性能は、書籍のデジタルライブラリを作って楽しむためには既に十分すぎる能力を持っています。その環境を活かすことができないのは、ユーザが自分自身のコレクションをデジタルデータ化するための術、つまり スキャンデバイス が存在しないからです。音楽が業界の想像を遥かに超えるスピードでデジタル化していったのは、スキャンデバイスが完備され、ユーザが自力でリッピングをしたからなのです。

「記憶する住宅」の美崎薫さんはこれを力業でやってきているのだった。

使いやすい書籍のスキャンデバイスがあるといいのだ。ユーザーは自分でドシドシとリッピングをするであろう。そうなればデジタルデータとして書籍を利用することへの抵抗もドンドン薄らいでいくにちがいない。

私はコミック買いまくり癖があり、所持するコミックはおそらく2,000冊を超えます。 これらが1つのデバイスでパラパラパラパラとスキャンできるのであれば、私はそのスキャンデバイスとスキャン後の作品を読むための見開きビューワを各々5万円でも購入 するでしょう。自分の全ライブラリをデジタル化できるということは、それくらいの価値が十分にあります。

オレはもっと出すぞ。そのスキャナ,50万円くらいなら買う。

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