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読まないと書けない。

学生の個別面談をしてみると、うまく作文できないと悩む者が多くいた。

作文は、かなりの部分はテクニックの問題であって、そのためのマニュアル本はいっぱい出ている。
たとえば、本多 勝一『日本語の作文技術』の、読点「、」の打ち方に関する技術を体得することは有効だろう。

しかしなによりも、絶対的な読書量が足らないのだと思う。
書くためには、その数百倍、読まねばならない。

継続的な読書を習慣づけるために、私がやっていることを簡単に紹介する。

かかわりながら読む。
古本でよい。なるべく自分で買う。で、書き込みをする。斎藤 孝『三色ボールペンで読む日本語 (角川文庫)』など参考にしつつ、意識的に書き込みながら読み進める。借りてる本のときは、重要なところを指差して、デジカメで写真を撮る。あとで論文なので引用する時には、どの本の何ページに書いてあったかを示す必要があるから、ノンブルも写るように。昔ならカードに書き写したところだが、そうしてるとスピード感が失われて辛いこともある。読むのは受動的な作業だから、ぼんやりしててもページが進んでしまうときってのがある。能動的に書かれている内容にコミットしながら読むべし。

複数の本を同時に並行して読む。
硬軟新旧取り混ぜて、その時々の気分にあうものを手に取る。軽いものばかりページが進むだろうけど、それでもよい。専門に特化した本だけを読んでいても、これってあれと関係あるじゃんという柔軟なリンクの発見はできない。

読みにくければ、ためらわず途中でやめる。
読みはじめたら、つまらなくてもわからなくても最後まで読み通さないと敗北感を感じるという人が時々いるが、これは間違った態度だと思う。内容を理解するためには、読み手の側の文脈が必要であって、読めない時は読めない。機が熟すのを待って、次の本を手に取るのがよい。複数の本を並行して読むのは、こうした純潔主義を克服するためでもある。

フォトリーディングをする。
ずっと前に紹介したフォトリーディングだが、いまでも飽きずにやっている。内容が頭に入るかどうかは別として、私にとっては、新しい本を読みはじめる前の儀式のようになっている。フォトリーディングについて西村佳哲さんに話したら、「内容に入る前に、まず自分と本との関係をつくりだすってのはおもしろいですね」と言っていた。そういうことである。

普通のことばかりなので、あらためて大学生にむかっていう話でもない気がするが、ともかく、読まないと書けない。読むべし。

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2008年02月24日 12:42に投稿されたエントリーのページです。

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