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読書感想文はインターネットを使うとラクラク〜

って記事が,雑誌「セブンティーン」に堂々掲載されているんだそうだ。勇気あるぜ集英社。ARTIFACT@ハテナ系 経由。

下記に頁のクリップあり。
はてなダイアリー - すてきなこいびとはちみつとかしてゆく - 読書感想文をぐぐって書くという"裏技"

前にも書いたが,コピペのレポートを読むのは本当に辛くて哀しい。努力して得られる達成感は何よりの快感なのに,どうやって,いつのまに,それが子供たちから奪われてしまうのだろう。

世の中にはもっと気持ちよくて楽しいことがいっぱいあるんだろうか。そうなのか?

追記:
すでに,こういうサービスもあるのだった。www.textfile.org経由で知る。

悩める児童・生徒諸君のために、学校提出用に限り自由に使える読書感想文をホームページで公開することにしました。これをそのまま書き写すのもOK。少しアレンジして、オリジナル(もどき)の読書感想文に作りかえることもOKです。

見れば,フリーライターの「仕事募集」の一環のようである。小中学校の読書感想文教育のもつダブルバインドな構造に対する批判のようだから,こういう露悪的なスタンスもわからなくはない。しかし,この密度でサンプルの感想文を作文し続ける意欲がどこから生ずるものであるのかは,私にはよくわからない。

それから,現在の小中学校の作文教育が,果たしてここで槍玉に挙げられているような愚鈍なものであるのかどうか,私は実情を知らない。むしろ,ここでの読書感想文批判の姿勢こそが紋切型であるように思われる。しかしもし,この紋切り型の批判が今日もなお的確なのだとしたら,学校の作文教育は非常に危ういと言わざるをえない。いずれにしても,なんだか暗い気持ちになってしまうサービスだ。

コメント (6)

石川初:

じゃ、お前の書くものはコピペなしの完全なオリジナルなのかと問われると、答えに詰まってしまいます。

あるいは、「お手軽にコピーでいいや」っていう自覚の問題なのかもしれないですね。

もとえ:

「完全なオリジナル」を求めてるわけじゃないんです。
「完全なコピー」だってのが切ないわけ。

学生:

私が以前受けた講義で、レポート課題が上手く機能していた講義があって、今でも覚えているのですが、

(1)毎回、その回の講義で扱った内容について、それほどの分量にならない(A4 1~2枚程度)のレポートを課す(ちなみに隔週の講義でした)
(2)レポートの内容
 ・基本的に、自力で考えられる範囲の身近な内容(でも問題としてはよく練られている)
 ・レポートの解答例というか、考え方の一例が教科書の巻末に載っている
 考え方をそのまま使っても、参考にしても、独自の考え方で書いても良い
(3)次回の講義で、先生が一人一人手渡しでレポート返却
(4)返却されたレポートに書かれていることは
 ・A++~Cの5段階評価
 ・レポートの最後に1~2行の直筆のコメント
 ・良い考察やおかしい部分があった場合はその箇所にもコメント

こんな感じの方式でした。この方式の良かったところは、

(1)より、関連する内容を学んでからあまり時間をおかずにレポート作成をするため、レポートにより講義の内容の理解が深まることが実感できます

(2)の内容は、レポートを書くことに対する心理的なハードルを低くします。

(3)で先生と一時的ではありますが1対1の関係になる、つまりお互いに顔が見える状態になります。これで毎回5~10分ほどの講義時間のロスになるのですが、意外と重要だと思います。ほとんどの学生はコピペが先生にばれていることをうすうす感づいているため、このプロセスがあることで、コピペをした場合かなりばつの悪い思いをすることになります。この方法が採られた結果として、教科書巻末の解答例とあまり代わり映えしない考え方でレポートを提出する学生は居ても、こそこそコピペをする学生は居なかったように記憶しています。

また、(4)のフィードバックが励みになっていたのが記憶に残っています。通常、自分の書いたレポートがどう評価されてるのかは、学生はほとんど知ることがありません。しかし(4)のように、自分に下された評価をがっつりフィードバックされることによって、学生は自分の考えのどこが評価されたのか、どこが駄目だったのか分かるし、先生は自分のレポートを時間をかけてちゃんと読んで下さってるんだなぁ、ということが実感できます。また、もらったコメントを踏まえて、次はもっと良いレポートを書いてやろうという気になります。モチベーションが上がります。
おっしゃるとおり、本来なら学生が最初からこの状態であるべきなのですが。。。
手前のモチベーションぐらい手前で管理しろという意見はごもっともです。ただ、コピペをしてしまうような層に限ってそういうことを求めるのは難しいというのもまた事実だと思います。

ただしこの方法は、先生の側にかなり手間と時間的負担がかかっていただろうと思われます。なのでどの講義にも応用できるかというと、それは難しいと思います。受講者が40人弱という、比較的少人数だったから可能だったのだと思います。

また制度上の問題として、ウチの大学はどういうわけかセメスターあたりの履修単位取得数の制限が無いこともコピペレポートの遠因だと思っています。これは単純に、履修している講義が多いと一つ一つの講義にかけられる勉強の時間が相対的に減る、ということです。1,2年のうちはまだ履修のペースがつかみきれないため、自分のキャパを超えて履修してしまい、レポートに追いまくられる者が結構居たように記憶しています。

もとえ:

ありがとうございます。なるほど。
隔週とはいえ40名に毎回これは大変だなあというのが正直なところです。教官のコメントもコピペだったりして(笑えず)

ひとりひとり手渡しで返却するのはいいですね。
今度やってみます。

gachapin:

もとえさんの記事を読んで、ちょっと前のブログ記事ですが下記を思い出しました。

「flapjackのbookmarks - 剽窃禁止というゲームの射程」
http://d.hatena.ne.jp/flapjack/20050501/p1
より

  「...『自分の考えを述べよ』というと、少しわからない
  顔をする学生がいる。学部時代の自分を振り返りつつ
  (かなり遠くの過去になってしまったが)考えると、
  『自分の考えを述べなさい』というのを『オリジナルな
  考えを述べなさい』と聞いてしまう極端な傾向があった
  気がする。そんなものは本当は要求されていないのだ
  が、そう聞こえてしまう...」
 
ところで「剽窃とは」や「自分の考えとは」が主題の記事で、urlと引用だけコピペして終わりではあまりにもなんなので、自分の意見をコメントしないと....自分の考えとはなんでしょう、うう。

自分は学生時代に読書感想文を書くのが苦手でした。文章を書く前に、与えられたテーマについて他の人と話し合うと書きやすくなることに気づいたのは、社会人になってからでした。
 
例えば、学生を二人一組のペアにして、まず課題について討論させその結果を各々が感想文にまとめるという方法はどうでしょうか(もちろん対談の形ではなく一人称で書きます)。自分とは異なる他人の意見を踏まえた方が書きやすく、またチェックする方も二人の討論が成立していたかどうかの痕跡で剽窃の有無を判断しやすくなります。
 
討論は向かい合って口頭でも良いし、あるいはメールや電子掲示板やwikiなどを使えば、交わされたテキストをもとに編集作業もできます(これはコピペといっても「自分たちの言葉」)。
 
ブログのコメント欄に「こんな意見を見かけた」と紹介する行為は、ふたつの情報を結びつけることですが、それがコピペで終わらず有意義になるためにはどういう条件が必要か。自分の頭のなかでふたつの情報が結びつくことが、有意義な「ひらめき」と呼ばれるために必要な条件と似ている気がしました。その条件のひとつは、他人や社会や過去を意識することかも。

gachapin:

補足:先程のコメントはこう書きたかったのでした。

× ところで「剽窃とは」や「自分の考えとは」が
  主題の記事で、

○ ところで「剽窃とは」や「自分の考えとは」が
  主題の記事のコメント欄で、

 

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2005年08月19日 01:23に投稿されたエントリーのページです。

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