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『三四郎』

をsoRaで読む。

『日本語が亡びるとき』で再三言及されていて、あらためて読んでみるかと思いたったのだが、しかし今はバルセロナにいるので、青空文庫からダウンロードして、iPhoneの文庫リーダー soRaで読んでみた。縦書き、画面もきれい(明朝体だともっといいが)、操作もシンプル。まずは文庫本と遜色ない感じで読めることを実感した。もちろん、スライダーだけでは、どこまで読んだか、あとどのくらいあるのかを本でそうしているときのように空間的に把握するのは難しいけれども。

『三四郎』は高校生のときに読んで以来。私にとっては懐かしい場所がいっぱい出てくるので、感傷的な気分になりもした。

追記:
ドナルド・ノーマンの『未来のモノのデザイン』を読んでいたら、次のような記述があった。

本や雑誌を読むとき、どこまで読んだかのマークが残るだろう。自然に擦れたり破れたりする場合もあるし、意図的にページを折ったり、付箋を貼ったり、強調マーカーやアンダーラインを入れたり、余白に書きこんだりすることもある。電子文書でも、これらの手がかりのすべてが必ずしも失われてしまうわけではない。結局のところ、コンピュータは何が読まれたか、どのページまでスクロールされたか、どの節が読まれたかを知っているのだ。ソフトウェアに擦れマークをつけて、どの節が編集されて、コメントされ、最も読まれているかが読者にわかるようにしてはどうだろう。ウィル・ヒル、ジム・ホラン、デイブ・ウルブレフスキー、ティム・マッキャンドレスの研究チームはまさにそうやって、どの節が最もよく読まれたかわかるように、電子文書にマークを付け加えた。汚れやすり切れは、使用されたこと、関連性や重要性の自然な表示であるという利点を持つ。電子文書では、実際に汚したり不潔にしたり傷つけたりといった不利益なしに、その長所を取り入れることができる。暗黙のインタラクションは、知的なシステムを開発する興味深い方法である。(p.79)

ページがちょっと焼けた感じになるとか、実装も難しくなさそうだし、いいかもしれない。
soRaにはダウンロードしたファイルを一覧する「本棚」があって、何ページまで読んだかの数字は出るけれど、何ページあるうちの何ページかはわからない。

ノーマンが引用文中で言及している論文はこれ。結構有名な研究のようだ。
Edit wear and read wear
(アカウントがないので読めないが orz)

こういうことは、「インタラクションヒストリ」として概念化されているようだ。「意思決定の場面に
おいて, 我々は他者の過去の行為を利用する[白井 2005]」とあるのだが、自分の行為の履歴も利用していいだろう。
白井良成,中小路久美代,山本恭裕, 平田圭二, 松下光範:実環境におけるインタラクションヒストリ: 表現と活用, The 19th Annual Conference of the Japanese Society for Artificial Intel ligence, 2005

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2008年12月02日 00:57に投稿されたエントリーのページです。

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