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Without Records

without records

P1020873

smtでやっている大友良英のインスタレーションを見てきた。
下記でストリーミング中継が見られる。引きの映像なので見た目はよくわからないかもしれないが。
Without Records_Live streaming

会場には,古いポータブル・レコードプレイヤーが数十台ならべられている。
様々な年代の様々な意匠のプレイヤーだ。シンプルなのもあるし,ステレオだったり,ラジオ付きだったり,鍵盤付きだったりする。工業デザインのコレクションとしても興味深い。

ただし,レコードは載ってない。

プログラムにそってスイッチがオンオフされる。
あちこちで音が出たり止まったりする。
天井からのピンスポットもこれに連動している。
(観客の動きと連動しているようには見えなかった。)

音が出るのだが,レコードがないので,出てくる音はターンテーブルそのものをひっかく音や内蔵アンプから出るノイズである。主催者の表現を使えば,「ポータブル・レコード・プレーヤーによる、文字通りレコードをおかないままそのものが発する音」だ。

ただし,その音は,筐体を叩いたりして物理的に直接出る音ではなくて,あくまでプレイヤーの針が拾い内蔵されたアンプとスピーカーを経由して出る音だ。それで,電話ごしの声のように,独特のこもった感じの音になっている。その音質が,長電話しているときのような,独特の聞き心地のよさをもたらしている。

それに,プレイヤーは,ただ素のまま置かれているわけではなくて,割ったレコードなどをつかって,ターンテーブルやアームのまわりに回転に合わせて音が出るように仕掛けがつくられているものがある。その仕掛けで,機械のノイズは,リズミカルな音響となっている。

会場にいると,あちこちから音が聞こえてくる。
目をやると,音の正体を示す動きが見えている。小さな機械の動き。
近づいて回転とともに繰り返される動きを見,音を聞く。
それが止まるころ,また別の音が聞こえてくる。

いわゆるインタラクティブなシステムではない。
プログラムされた楽譜があって,「演奏」がなされている。そう感じられる。
私のためではない,別の誰かのための演奏の現場に紛れ込んでしまったような,ちょっとした疎外感を感じたりもする。この,私にむけられた音楽ではないという感じは,神楽を聞くときの感じと似ているかもしれない。

そんなわけで,
何がおもしろいのか,なかなかうまく言語化できないのだが(笑)
ひとしきり会場に居て,プレイヤーたちの「かけあい」を楽しんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=8XstFptgi6Y
↑差し支えがあれば削除しますので>各位

コメント (1)

not:

YouTube問題ないです。

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2007年01月17日 23:04に投稿されたエントリーのページです。

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