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Mr.インクレディブル

を観た。吹き替え版(三浦友和が実にいいので,安心して吹き替え版を見るべし)。土曜なのにガラガラだったので,ピクサーの神通力もこれまでかと不安になったんだがさにあらず。実に痛快で楽しい漫画映画であった。ダメダメのアニメだったけど話は感動的だった『アイアン・ジャイアント』のブラッド・バードが,たっぷり予算をもらって監督。うまくいった。続編ができるに違いない。

ピクサーのアニメで,はじめて人間が主役になった。髪の毛なんかはリアルに作り込みつつ,全体の動きは,あえてヒョコヒョコした「人形劇」のテイストで作ることで,違和感なく感情移入しやすい画面にしていた。いうなれば,CGによるサンダーバードであり,デジタルなハリーハウゼンだ。ジャックジャックの変身はハリーハウゼンへのオマージュだろう。

描かれる都市像や,悪者の秘密基地,巨大ロボット,戦闘機などのデザインはレトロフューチャーそのもので,まだ見ていないけど『スカイキャプテン』や,夏の『スチームボーイ』とあわせて考えるに,やはり今はマニエリスムの時代であると思う。

様々な超能力を持って活躍していたスーパーヒーローたちが,ある時期を境に社会に疎まれ,その力を隠して生きていかざるを得なくなる。主人公のMr.インクレディブルもイラスティガールと結婚して家族をなし,子どもたちもまた超能力をもつが,皆それを隠し,持て余しながら悶々と日々を過ごしている。というのが基本的な設定である。もちろん封印された異形の「力」は苦悩のうちに解放され,最後には人々に祝福されるという予定調和的な物語なのではある。家族愛,友情,努力,勇気,利他的態度等々が率直に讃えられる。これに引っかかると,この映画はのめないけどね。

この「疎外されたスーパーヒーローの名誉回復」という物語は,まさに今日のアメリカが求めるものだろう。内田樹が書いている。

アメコミの「スーパーヒーロー」はすべてアメリカの「セルフイメージ」である。
それは「生来ひよわな青年」がなぜか「恐るべき破壊力」を賦与され、とりあえず「悪を倒し、世界に平和をもたらす」ために日々献身的に活動するのであるが、あまり期待通りには感謝されず、「おまえこそ世界を破壊しているじゃないか」という人々の心ない罵詈雑言を浴びて傷つく・・・というものである。
『スパイダーマン2』がアメリカのイラク侵攻の心理劇化であるということに気づいている人はあまりいない。
一方、日本の戦後マンガのヒーローものの説話的定型は「生来ひよわな少年」が、もののはずみで「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」の「操縦」を委ねられ、「無垢な魂を持った少年」だけが操作できるこの破壊装置の「善用」によって、とりあえず極東の一部に地域限定的な平和をもたらしている、というものである。
これは『魔神ガロン』から『鉄人28号』、『ガンダム』、『デビルマン』、『マジンガーZ』を経て『エヴァンゲリオン』に至る「ヒーローマンガの王道」である。
この「恐るべき破壊力をもったモビルスーツ状のメカ」は日米安保条約によって駐留する在日米軍であり、それを「文民統制」している「無垢な少年」こそ日本のセルフイメージに他ならない。

インクレディブルは「生来ひよわな青年」ではなく,生まれつき「恐るべき破壊力」を備えている。一方,一度はインクレディブルに強烈に憧れながらも拒絶された「生来ひよわな青年」たるシンドロームが,「機械仕掛け」を「悪用」する「邪な心」を育てて世界を危機に落としいれる。大量破壊兵器のコントロールを失い,子どもを誘拐するシンドロームはイラクであり北朝鮮なのだろう。日本は便利なハイテクスーツ製作者として登場している。銀行強盗犯ボンボヤージュはフランス語を話していた。とすれば最後に出てくるアンダーマンは……

……というようなことはおいといて,この映画は本当に痛快で楽しめるのでおすすめ。エンドロールもカッコいい。

Mr.インクレディブル公式サイト

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2004年12月19日 08:20に投稿されたエントリーのページです。

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