« 内藤廣 特別講義「建築的思考のゆくえ」2004.11.18 | メイン | 社長もノンテリトリアル »

マティス

上野の西洋美術館で,マティス展をみてきた。修学旅行などでごったがえしていたので,止めとこうかと思ったが,見てよかった。非常に意欲的な展覧会だ。

マティスといえば,華やかで装飾的で,ある意味「お気楽」な印象をもっていたのだが,この展覧会で提示されていたのは,そういうマティスとは全然違っていた。

1945年のパリ,マーグ画廊で,マティスは,描いている途中の絵を写真に撮影しておいて,完成した作品の周囲に展示するという展示形式で展覧会を開いていた。研究としてこのようなことが行われるのはよくあるだろうが,画家が自分の意志でそれをやるのはめずらしいだろう。ブラウスの柄は早くから描けていても,顔だけ何度も消して描き直したりしている。長い時間をかけて,スタディが続いている様子を見せているのだった。図録の解題によれば,マティスは自分の作品が「一見たやすく」見えてしまうことを警戒すると同時に,若い世代の画家たちが「自発性の名の元で安易な制作」を行う傾向があるのを憂い,こうした自称「教育的展覧会」を開いたのだそうだ。

マティスに限らないが,画家は同じモチーフで何枚も何枚も描く。ほぼ同時期に異なるスタイルで描くこともあれば,長い時間(20年とか)をかけて表現を変えていく場合もある。窓からみたノートルダムのバリエーションなんかは前者だし,「背中」のレリーフは後者の典型だ。その振幅の大きさとバリエーション展開の緻密さとが共存している。

自分でつくりつつあるものに,自ら驚くこと。驚いて,作り直すこと。バリエーションを試すこと。そのプロセスを経て,「お気楽」に見える成果に到達したのだ。

国立西洋美術館
読売新聞社:マティス展

コメント (1)

もとなが:

この手のプロセスを映像化したものではピカソのやつが有名ですけど、マティスのも見たことがあります。時々見ているこっちがのけぞるようなことをするんですよね。画家にとっては普通のことらしいんですけど、すごく面白いです。

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2004年11月13日 11:58に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「内藤廣 特別講義「建築的思考のゆくえ」2004.11.18」です。

次の投稿は「社長もノンテリトリアル」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。