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『浪費するアメリカ人』

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ジュリエット B.ショア『浪費するアメリカ人—なぜ要らないものまで欲しがるか 』森岡孝二監訳,岩波書店,2000

たんなる快適さより富裕さを求める普遍的な願望を特徴とする「競争的消費」傾向をもった「新しい消費主義」について論ずる。

浪費のための競争的消費にのめり込むあまり,アメリカ人は,長時間働き,借金は増え,クレジットカードの残高は増え,貯蓄はなくなり,ストレスは多く,満足感は得られない。こうした働き過ぎと浪費の悪循環は,環境への負荷を増大させ,税負担忌避を通じて公共財を貧弱化させ,家族やコミュニティを危うくしている。


消費のこうした側面に関する議論は,ウェブレン『有閑階級の理論』(1899年)の「見せびらかし消費」や,デューゼンベリー『所得・貯蓄・消費者行為の理論』(1949年)での「ジョーンズ一家と張り合う」話などがすでによく知られているが,ショアの議論の対象は1980年代から90年代の事例だ。

ピエール・ブルデューが『ディスタンクシオン』で1960-70年代のフランス人の消費パターン分析を通じて示した「文化資本」の理論とも近い。「消費者の好みや趣味はいかにも自分らしい何かである,という私たちの経験的な意識とは反対に,私たちが何を好むか(また好まないか)は社会的に,ある程度は階級の不平等によって,生産されるのである。(p48)」

こうした変化を,ショアは,
- ホワイトカラー職場への高学歴の女性の進出
- テレビとマスメディアの影響力の増大
- 人口の上位20%層への所得と資産の劇的なシフト
と関連づけて論じている。

「これを作ったものは,もっとも裕福な人びとの高まっていくライフスタイルと,他の多くの人びとがそうしたライフスタイルを維持する金銭的能力を顧みることなく,その水準を満たそうと思う(p.31)」ために起きる。こうした高水準化は近所では見ることができない。「ジョーンズ一家」は近隣住民のことだったが,もう近所と比べたりはしない。テレビと比べているのである。

必要があって買うのではなく,買うこと自体が目的であるから,買った瞬間に興味を失う。買った服を一度も着ないことも珍しくない。ヴィリリオとあわせて読んでいるので,つい遅延する機能的使用の時間を凌駕して即時的な支払いの瞬間が君臨する「走行消費体制」の誕生などと口走ってみたくなる(笑)。クレジットカードによる「見えない支払い」はまた永続的な支払いの遅延をもたらし,来るべき自己破産のカタストロフを招来する。だが歴史的な視点に立てば,商品引き換え現金払いの習慣は必ずしも〈昔ながらのやりかた〉ではなく,近世社会においてはむしろ固定された顧客との掛売りが常態であったことを考えれば,クレジットカードの見えない債権システムは近代化の加速の果ての云々…

さて,ショアは,こうした競争から降りる人々,「ダウンシフター」についてもかなりのページをさいてインタビュー形式で紹介している。彼らは「自意識過剰な反消費主義者」でも「帰農タイプ」でも,特定の宗教の信者でもない点が現代的である。収入を減らし,労働時間を減らし,多くの自由な時間を手に入れることで,生活のバランスを回復しようとする。彼らの満足度はおしなべて高いが,必ずしも全部がハッピーエンドではない。

パコ・アンダーヒルの示した「買い物させる技術」の向上とあわせて考えるべき問題だろう。デザイナーは一体何をやってるのかってことの,ひとつの側面であることは間違いないのだから。

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2004年08月14日 22:20に投稿されたエントリーのページです。

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