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作法心得

作法心得(マナー)

ホテル学校のテキストとして林實氏らによって書かれたもの。深い含蓄に満ちている。
「男子は、いかなるときも、睾丸を、ダラリとしているように心掛けられよ。」
「 西洋人の真似をして、まゆげと目のあいだをせまくすると、西洋人に似ず、猿に似る。」

手袋や帽子を扱う作法については,自分がまったく無頓着であることを改めて知る。
「官公庁、デパート、その他、居住・宿泊機能のない建物のエレベーターでは、男子が、女子に対し、脱帽したり、手袋を脱いだりする必要がない」のだが,逆にいえば,居住機能のある建築のエレベータでは,女子に対し脱帽しなくてはならないということになる。

姉妹編に「文書心得」がある。こちらもしみじみ読むべきところがある。

なべて行為には然るべき作法がある。文化的に濃密なコンテクストがあらかじめ与えられているといってもよい。こうしたコンテクストが,ひとつの行為から,より豊かな意味が生みだされていくことの源泉となる。

もっとも,作法とは社会の階級化を押し進め固定するための差別の技術だともいえる。オードリー・ヘップバーンとレックス・ハリソンの『マイフェアレディ』は言葉と所作を改造することで階級を移動しようとする物語だった。スペインの雨は主に平野に降る。しかし,その作法は階級間で互いに心得られており,交渉の余地があった。

今日,かかる作法は全体としては希薄化して見えながらも,実はむしろ寸断され,分断されたセクター内では極端に濃密化し,セクト外部からは理不尽で心得ようもないものとなり,ひいては相互の交渉の回路が閉ざされてしまってきているのではないか。

コメント (2)

いりえ:

この作法入門、おもしろいですね。

>今日,かかる作法は全体としては希薄化して見えながらも,実はむしろ寸断され,分断されたセクター内では極端に濃密化し,セクト外部からは理不尽で心得ようもないものとなり,ひいては相互の交渉の回路が閉ざされてしまってきているのではないか。

これは禿同です。
階級固定化をなくすために、作法的なものを、ないという建前にしていながら、最後の封建社会=会社なんかでは、著しく瑣末で閉じた「作法」が幅を利かせたりしていると感じます。
私は10年たっても慣れない・・

ファシリテーションというのは、開かれたコミュニケーション「作法」として、希望の星のような気がします。

ついでに最近思いついたことを書かせていただくと、千利休の茶道も、対等なコミュニケーションをプロセスとして設計しようとしたものじゃないかと感じています。部屋に入るときにわざわざかがんで入るとか、最後に濃茶といって一つの椀で回しのみをしたりするのは、結局、対等なコミュニケーションの実現のためだったのじゃなかったのかなと感じています。
下克上の世の中が終わって切腹させられたのも、さもありなんということじゃなかったのかと。

ところで、以前書いた、席替えで社内活性化、人事移動、を提唱している人の本を見つけました。

白潟敏朗[ダイヤモンド社]『たった一つのシンプルな仕掛けで、会社が変わる!』(2004)

もとなが:

ワークショップも茶の湯も、既存の枠組みから一旦自由になるために、別の新たな枠組みを用意する必要があって、そこには結局また同じ罠があると感じています。
現在の茶道や、ワークショップと銘打った講座やセミナー類を見てると、本当に。

その危険を察知して回避するのもファシリテーションなんでしょうけど、回避しすぎると単にまとまらないだけだったりして、なかなかうまくいかないんですよねー。

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2004年06月23日 03:44に投稿されたエントリーのページです。

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