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著作権改定と「コンテンツ」

『本とコンピュータ』編集長の仲俣暁生が「著作権法改正におけるメディアの分断統治」から始まる記事を書いている。

音楽CDにおける「輸入権」導入、出版界における「貸与権」導入、そしてネットにおけるファイル交換ソフトへの取り締まり強化。この三つの現象は、バラバラに起きていることじゃなくて、一つの趨勢(それが巨大な意志の力、かどうかは別にしても)の三つの表れだ、ということが、ようやくハッキリしてきた。

(中略)

下北沢に住んでいると、「輸入CD屋」とか「新古書店」といったオルタナティヴな回路があることが、いかにありがたいかを身にしみて感じる。いま著作権法改正に乗じて目論まれているのは、すべての「オルタナティヴな回路」を塞ぎ、オーソライズされたただ一本の道(しかも有料)しかないという状況づくりなんだと思う(もちろん、今回の著作権法改定では「新古書店」は影響をうけない。でも、そのうち必ず狙い撃ちにされて、規制が強化される。ICタグはたぶん万引き対策などではなく、将来的な「譲渡権」の拡大のための布石だろうというのが僕の予想)。

2004年の1月に自由民主党 経済産業部会知的財産政策小委員会 著作権に関するワーキングチームがまとめた「知的財産立国」に向けた著作権戦略「5つの提言」−コンテンツ産業の飛躍的拡大と我が国の文化の積極的な海外発信を目指して−
」には,貸与権,輸入権,刑罰の強化の三点セットが出てきているという。お,ホントだ。

著作権法改定と歩みをそろえて,「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律案」というのも衆議院を通過している。

この法律案の第二条に「コンテンツ」の定義がある。

第二条 この法律において「コンテンツ」とは、映画、音楽、演劇、文芸、写真、漫画、アニメーション、コンピュータゲームその他の文字、図形、色彩、音声、動作若しくは映像若しくはこれらを組み合わせたもの又はこれらに係る情報を電子計算機を介して提供するためのプログラム(電子計算機に対する指令であって、一の結果を得ることができるように組み合わせたものをいう。)であって、人間の創造的活動により生み出されるもののうち、教養又は娯楽の範囲に属するものをいう。

いろいろな豊かなものが,一緒くたに「コンテンツ」ってことにされている。仲俣はいう。

国立大学の独立法人化にみられる産学一体化と人文切り捨ての論理を、産業側(およびそれを国策としたい役人や政府)から表現するためのマジックワードが、あらゆる種類の文化・芸術・娯楽をそれぞれの文脈から断ち切って無機質化してしまう「コンテンツ」というひどい言葉なのだ。 ようするに、これからは出版界も映画界もアカデミズムも、すべて「コンテンツ産業」の下部組織になるのだな。

わたしにとって,この仲俣暁生の記事は,この「コンテンツ」という言葉によって,昨日読んだ西野嘉章の『ミクロコスモグラフィア』と繋がった。西野が憂いていたものはこうした「コンテンツ」的な発想そのものであるだろう。

でも,正直いってわたしにはよくわからないのだ。
得をするのは誰なのだろう?何が守られるのだろう?

ところで, わたしの勤め先ではカリキュラム改定作業の真っ最中である。
「コンテンツ」って言葉が新科目案になくてよかった。

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2004年05月28日 22:52に投稿されたエントリーのページです。

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