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『暗黙知の次元』

を読む。

マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』高橋勇夫訳,ちくま学芸文庫,2003

新訳。佐藤敬三訳が定番だが,以前はうまく読めなかった記憶がある。訳が悪いというのではなく,そのころはまだ私にとっての機が熟していなかったのだろう。今度はわりとしっくりさっくり読めた。そういうことはよくある。でも無理してでも読むことが無駄ってことではない。

原題は"The Tacit Dimension"。暗黙のうちに知っていること。
われわれは顔をみれば誰かわかるが,どのようにしてその人だとわかるのかわからない。
「私たちは言葉にできることより多くのことを知ることができる。分かり切ったことを言っているようだが,その意味するところを厳密に言うのは容易ではない。(p18)」

本書は三部構成である。第一章 暗黙知,第二章 創発,第三章 探求者たちの社会。「探求者」とは科学者のことである。ポランニーは,暗黙知が,科学的探求の原動力となり,より高次の意味を志向するダイナミズムを生みだすという。

さて,私のゼミでも卒業研究にむけての研究テーマの検討がなされている。私のところでは研究室をあげてのシステマティックな研究をやっているわけではないので,私は,君はこれをやりたまえ,ということはいわない。学生が自分でどんなことを研究するか考えないといけない。

研究を行なうには,妥当な問題を立てることが必要である。しかも,独創的な問題を立てる必要がある。大学の研究指導教官はみな学生にそういうであろう。まず問いを立てよ,と。


ポランニーもそういう。問題を考察するとは「まだ包括されていない個々の諸要素に一貫性が存在することを,暗に認識することなのだ。この暗示が真実であるとき,問題もまた妥当なものになる。そして,私たちが期待している包括の可能性を他の誰も見いだすことができないとき,それは独創的なものになる(p46)」。ありふれた指摘だ。

だが,このプロセスには矛盾がある。それはプラトンの「メノン」のパラドクスと呼ばれる。曰く,問題の解決を求めることは不条理だ。もし何を探し求めているか分かっているなら,そもそも問題は存在しないのだし,逆に,もし何を探し求めているのか分かっていないのなら,わかりもしない何かを発見することなど期待できない。なるほど,そうかも。やっぱり研究なんて無理かも。

しかし,暗黙知によって,メノンのパラドクスは解決できる。「私たちは初めからずっと,手掛かりが指示している『隠れた実在』が存在するのを感知して,その感覚に導かれているのだ。さらにこの追求が成功裏に終わって手に入る発見もまた,これを同じ見通し(ヴィジョン)に支えられていることになる。それは実在(リアリティ)に触れたと主張する。(p50)」

つまり,まだ言葉にできてはいないが,暗黙のうちには,もうわかっているのである。

だが,独創的であればあるほど,その知は個人のうちにしかない。
「そうした知を保持するのは,発見されるべき何かが必ず存在するという信念に,心底打ち込むということだ。それは,その認識を保持する人間の個性(パーソナリティ)を巻き込んでいるという意味合いにおいて,また,おしなべて孤独な営みであるという意味合いにおいて,個人的(パーソナル)な行為である。(p52)」

問題も答えも,暗黙のうちに個人のうちにある。そこから探求が始まる。「それらは未だ知られざる,一貫した全体の,断片のように見える。こうした試行的な先見性(ヴィジョン)は,個人的な強迫観念へと転じられねばならない。なぜなら私たちを悶々とさせぬ問題は,もはや問題とは言えないからである。その中に衝迫(ドライヴ)が存在しなければ,問題は存在しないのだ。(p125)」

探求とは,暗黙知として悶々と個人の心のうちにあった何かをえぐり出して,言い当てるプロセスである。「隠された真実の接近を予期(p126)」しながら「彼は,自らの認識行為として,個人的な判断を下し,徴候を外界の実在に関係づける。(p52)」

このとき必要なのは,個人としての責任あるコミットメントだ。研究の「結論とは,すべからく,それに到達する人間の掛かり合い(コミットメント)を表現するものなのである。何人といえども,自分自身の責任ある掛かり合い以上のものを口にすることはできない。(p128)」

「コミットメント commitment」を,高橋は「掛かり合い」と訳している。訳注によれば,他の訳書では,「傾倒」「自己投出」,あるいは単に「参加」としているそうだ。「ポランニーの commitment が含意している個人性と実践性,対象の内部に食い入る執拗さ,身内の衝迫にせきたてられる退っ引きならなさ,そしてつねに失敗を孕んだ危うさ,そんなものをすべて兼ね備えた日本語をと思ったが,なかなか難しかった(p163)」

卒業研究にしてもなんにしても,研究テーマを決めるのが難しいのは,このコミットメントが難しいからにほかならない。だって,これは賭けなのだから。しかし「ある特定の見解への熱烈な掛かり合い(コミットメント)を持って,初めて想像力は自らの陳述を裏付ける証拠を発見することができる(p130)」のである。覚悟を決めて,コミットするよりないのだ。

ポランニーの『暗黙知の次元』はダイナミズムの本である。「私たちは言葉にできることより多くのことを知ることができ」てしまう。その溢れかえりそうな暗黙知と,いかにも貧しい形式化されてある知との水位差が,我々を悶々とさせ,コミットメントをうながし,創発を引き起こし,世界をドライヴさせるのである。

ところで,新訳といえば,ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考』野矢茂樹訳(岩波文庫,2003)である。俺的には機が熟しているとは言いがたいものの,買ってはみたぞ。

コメント (1)

あねは:

気になる本ですね。
暗黙知へcommitmentを持つ足がかりとして読んでみたいと思います。

機が熟しているかは僕も読んでから判断します。。

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2004年05月21日 03:36に投稿されたエントリーのページです。

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