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携帯の何が迷惑か

Alertbox: なぜ携帯電話は迷惑がられるのか(2004年4月12日)

バスや電車の中で,誰かが対面で話しているのを聞くのは平気なのに,携帯電話で話しているのを聞くと不愉快なのは何故か。皆わかっているけれど,ちゃんと調べたのはあまり見たことがなかった。これは珍しくて面白い調査結果だ。役者の会話を聞かせておいて,いきなりアンケートする「どっきりカメラ」式の調査方法もおもしろい。研究したのは,University of York の Andrew Monkら。

携帯電話で一番の問題は声の大きさではなかった。実際、普通の大きさの声であっても、携帯電話の会話は対面の会話より悪い評価を受けている。一番の問題は、携帯電話の会話は、対面の会話よりも、気になりやすいことのようだ。

やはり,声そのものの騒音性ではなくて,そのコミュニケーションのありようを不快だと感じているということである。それがどのような不快感であるのかは,さらなる研究が必要なようだ。

この研究を紹介しているヤコブ・ニールセンは

問題は,会話の片方だけを聞いたときに人は多くの注意を払うことであるように思われる。どうやら、1 人が会話と沈黙を繰り返すのを無視するよりも、2 人が順番に話す普通の会話を無視する方が簡単なようだ。

としている。見えそで見えないほうが丸見えより気になるっていう,そういう話か?

コメント (3)

amemiya:

もとえさん

お久しぶりです。雨宮です。
めぐりめぐってこのサイトにたどり着きました。

以前読んだ本(確か吉見俊哉さんの本だったと思いますが手元になくて確かではありません)に、同じような件に関することが書いてあって、そこでは
「他人同士が同じ場所にいることを暗黙で了解している公共空間において、携帯というメディアによって顔の見えない他者が現れることにより公共性が侵害され、不愉快になる」
みたいな事が書いてあってなるほどなあと思った記憶があります。
確かに知人が目の前で携帯で会話し始めたときに、相手が分かっているときと分かっていないときでは不快感は違いますね。

もとえ:

どうも久しぶりです。
今ベルギー?学校に行ってるんですか?

僕も,ニールセンの「半分しか聞こえない会話が気になっちゃう説」よりも,吉見?の「顔の見えない他者登場説」に共感しますね。

ただ,そういう他者の登場が不快だ,という感じよりは,今目の前にいる人が,さっきまでは「公共モード」の態度だったのに,ケータイで話しはじめた途端「プライベートモード」になってしまうのが不愉快なのかなと思います。だらしない感じがするというか。

対話と電話の違いというよりも,電話がトリガーになって,そこに居る人の態度が変わってしまうことが問題。

だから電話とは関係なく,公共の場で「公共モード」でないすべての人,ラブラブな恋人たちも不愉快だし,電車でファンデーション塗ってるのも不愉快だし,週刊ポストのエロページ広げたまま眠ってるオヤジも不愉快だと感じるのではないかなぁ。携帯電話だけがそんなに特別だとも思わないけど。

つまり,傍若無人な態度への不快感。
これってつまり,自分の存在が無視されているような気がすることへの不快感なのかな。

そして,こういうのには皆慣れてきていて,だんだん不快ですらなくなってきていると思います。期待される「公共モード」ってものそのものが変質してくるんじゃないですかね。

別のケースのことを考えると,飲み屋とかで馬鹿話してウダウダ状態になっている連れのところに電話がかかってきて,そいつが突如「お仕事モード」になることってあるじゃないですか。それって「不愉快」だと思う?可笑しいとは思うけどさ。

もうひとつ。ケータイでメールを入力している人って,電話で話している人以上に,周囲から知覚を閉じている感じがします。あれは傍目に「不愉快」かしら?

さらにもうひとつ。携帯で話している人に対して,不愉快だのイライラするだのいうことを表明すること自体,お前こそ何様のつもりだよ,って気もします。自己嫌悪含めて。

amemiya:

はい。ベルギーです。大学に通っています。
といいながらここ10日間はドイツスイスあたりを巡ってきました…。アルプススキーは最高です。はい。


たしかに公共モードを壊す行為は街中にいろいろありますよね。これが最近のことなのか僕には分からないんですが。
ただ、携帯はやっぱりその普及性の高さが、問題にされやすい原因かなと思います。(自分も携帯持ってるけど自分は車内では使わないゾ、というメンタルが起こったり)
逆にこの普及性と携帯性の高さが、公共性の質を変える一番大きな要因な気がします(伝染しやすい)。そもそも倫理観は集団の共通意識だから集団が変われば倫理も変わるかもしれない。

>別のケースのことを考えると,飲み屋とかで馬鹿話してウダウダ状態になっている連れのところに電話がかかってきて,そいつが突如「お仕事モード」になることってあるじゃないですか。それって「不愉快」だと思う?可笑しいとは思うけどさ。
うーん。微妙ですねー。ただ、よく考えると、電車の中でのケース(みんな他人)と、飲み屋のケース(知り合い)では少し不快の感じ方が違う気もします。電車の中では、みんなが守るべき規範から外れた行為に対する不快感(倫理感)で、飲み屋のケースは自分と相手の関係を害されたことに対する不快(嫉妬)。だから状況によっては(お仕事モードとか)不快にならない。(恋人に男からかかってきたらエライ気になる)

>もうひとつ。ケータイでメールを入力している人って,電話で話している人以上に,周囲から知覚を閉じている感じがします。あれは傍目に「不愉快」かしら?
メールをうっている人は、実際は電話しているのとあまり雰囲気の壊しっぷりはかわらないのに、「電話はするのはちょっとアレだから'ちゃんと'メールにしています」という勘違いをしている気がしませんか。そこがより不愉快に感じさせることがあるかもしれません。

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2004年04月15日 21:00に投稿されたエントリーのページです。

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