« 2016年07月 | メイン | 2016年10月 »

2016年09月 アーカイブ

2016年09月18日

カート・ヴォネガット『これで駄目なら』

カート・ヴォネガットの卒業式講演集。

若者の無気力を責める風潮に対して言う。

「瞳に輝きを宿し、キビキビ歩いていた世代の1人として、凧みたいに舞い上がっていられる方法をお教えしよう。憎悪だ。」(p.31)

「ヒトラーは、打ちのめされ、破産し、餓死しかけた国家を憎悪の力だけで復活させた。想像してみて欲しい。
だからわたしには、現代のアメリカ合衆国の若者たちは無気力に陥っているのではなく、憎悪から快楽を得ることに慣れている人々からはそう見えるのに過ぎないのではないかと思っている。卒業する君たちのクラスのみんなは、居眠りしているわけでも、無関心なわけでも、無気力なわけでもない。単に、憎悪なしでやってみようとしているだけだ。」 (p. 31)

円城塔の翻訳かと書店でふと手にとって開いたページで、この一節を目にした。1978年の講演だ。

ヴォネガットは講演をこう閉じる。
「君たちは、憎悪というものが長期的な視点からは青酸カリみたいなものだとわかってるんだ。君たちがやろうとしていることは素晴らしい。うまくいくことを祈っている。」(p. 32)

憎悪なしでやってみる

見た目は地味になるだろうけれど、なんと尊い挑戦だろうか。

28年後の今日、付け加えるなら、みんなは、強欲なしでやってみようとしている。

憎悪や強欲なしでやってみる

「憎悪から快楽を得ることに慣れている人々」は甘いと嘲るだろうが、やってみるのがいい。

「これで駄目なら、どうしろって?」

If this isn't nice, what is?
追記: 原著は kindle unlimited で読める。

2016年09月22日

『翻訳教育』

著者 : 野崎歓
河出書房新社
発売日 : 2014-01-21
ウェルベックの訳業から著者の名前を覚えており、美しい装幀に惹かれて書店で手に取った。文字組も良い。

翻訳という営為に関わることの、なんとも独特の屈託に満ちた構え。

コウモリとあとがきで引くような、いくらか斜に構えたような、正面には決して立たないような、しかし世界の存立の一翼を担っているという矜持を見せるような、そういう仕事のあり方には共感するところ大であった。

紹介されている小説がどれも魅力的に思われて、ここから翻訳書の渉猟に向かうというのも良い趣向だろうと、森鴎外の『ファウスト』と『渋江抽斎』を手に取った。

macOS Sierra で親指シフトを使うには

Lacaille というアプリを使うと、macOS Sierra でも親指シフトを使うことができる。

右親指を「かな」に、左親指をスペースバーに割り当てることのできる orzレイアウトも使えるから、これまでの karabiner + orzレイアウトとほぼ同等の使い方でいける。レスポンスも遜色ない。

私は、日本語は orzレイアウトで入力したいが、アルファベットは刻印通りで使いたいので、Lacaille用に用意されているorzレイアウト定義ファイルのうち、あえて日本語だけがorzレイアウトになる旧バージョンのものを使っている。

この環境の導入当初、アルファベット入力時に、shiftキーを押しても正しく英字の大文字が入力できないという不具合に悩まされた。

色々確認してみたところ、 システム環境設定/キーボード/入力ソース/日本語 の 「入力モード:」の「英字」にチェックすると不具合が起きなくなった。

備忘まで。

About 2016年09月

2016年09月にブログ「Motoe Lab, TU」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2016年07月です。

次のアーカイブは2016年10月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。