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2014年10月 アーカイブ

2014年10月11日

再び青葉山へ

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青葉山にもどりました。

2011年3月11日の地震で大破した旧人間環境系研究棟が改築され、新たな建物で、再び研究を始められることになりました。

新しい建物は、SRC免震の5階建て。本江研究室は5階に入ります。

今日はちょうど11日ですから、3年7ヶ月の「仮住まい」だったことになります。仮住まいの間は、青葉山と川内と片平と、遠くはないとは言え三つのキャンパスに分断されており、授業のたび会議のたび、移動を強いられていましたから、こうしてスタッフと学生がひとつながりの空間におり、同じ建物に製図室やギャラリーや講義室があり、研究と教育の活動がひとつの建築に包摂されてあることの、ありがたさを感じます。

ちょっと寒そうな新棟ですが、視線の抜けを意識したプランニングで内部の活動が視覚化されており、見た目をさらに上回る透明感があります。 使い方が落ち着くにはまだしばらくの試行錯誤が必要でしょうが、デザイン研究・教育の空間として、うまく育てていきたいものです。

お近くにお越しの際はぜひお立ち寄りください。

「デザインとエンジニアリング」10/20新規開講

本学工学教育院科目として、新しく「デザインとエンジニアリング」という科目を開講します。

学科・専攻を問わず,工学部・工学研究科の全学生に履修していただける内容となっています。

日程等の詳細は下記から。

[工学教育院科目]デザインとエンジニアリング

2014年10月13日

『関東大震災の想像力: 災害と復興の視覚文化論』

副題は「災害と復興の視覚文化論」。

大量の関東大震災のイメージは、どう意味づけられていったのか。

まさに執筆中に東日本大震災が発災し、この歴史研究が、突然強い同時代性を帯びることになった。

書かれていることのことごとく、90年の時を超えて、今日、東北におり、日本にいる我々に強く響く内容だ。図版を差し替えて、ネットについての1章を加えればそのまま『東日本大震災の想像力』になりそう。悔しいが、歴史は繰り返す。

本書の結語は次のとおり。
「かくして、この出来事が表面化させた深い社会的・文化的・歴史的意識から教訓を学ぶ機会を国民が得ることのないまま、妥協的にでき上がった本所の記念館のなかに、簡略化され削除された教科書のなかに、お決まりのこととして繰り返される防災行事の文化のなかに、関東大震災の記憶は、物言わずとどまり続けている。(p.357)」

第4章「廃虚の崇高性」や第6章「復興の視覚的レトリック」、第7章「追悼/記念」などの章は、いま、記念施設の構想に着手し、また復興についての視覚的表象を構成しようとしている我々が、あらかじめ理解しておくべき内容を多く含んでいる。どのようなレトリックを用いるにせよ、その政治性について無意識であってはならないだろう。

もう少し丁寧に読んで、来期の講義でとりあげたい。

2014年10月29日

『ANATOMY SCULPTING』

帯には「造形解剖学入門」とある。そのとおりの素晴らしい技法書。人体造形には解剖学が必要だ……と誰でも言うが,それはこういうことだったのだ。

前半は、片桐の作品集。リアリティのある奇形。

表情が変化する一瞬前の瞬間を捉えたような、つまり、表情をつくる筋肉がこれから動き始める瞬間をとらえたように見える。

パシフィックリムの巨大ロボット、ジプシーデンジャーの造形も片桐が関わっているとは知らなかった。あの立ち姿と動きがいかにも様になっているのは、造形の背後に脊椎動物の構造への深い理解があることを知る。

後半は、頭部、男性全身、女性全身、老人胸像、子供を作例とした技法の解説。

いきなり、モンゴロイドとコーカソイドの頭蓋骨の違いの解説からはじまるのだが、解剖学の知見と粘土細工のテクニックとが、実にいい感じで渾然となりながら制作が進む。

目標作業時間が示されているのもプロっぽい。ここまで50時間とか、さらっと書かれている。

背中は丸い肋骨の上に肩甲骨がのっていて筋肉の動きが凄まじいとか,シワは線じゃなくて上から皮膚が垂れて下の皮膚にのっている断面を意識すべきで、大人と子供はこの垂れ具合が違うとか,指先は平たくするとほっそり見えるとか,耳の一番高い部分と一番奥の部分が割と後ろの方にある形が個人的にはかっこよくて好きだとか,身体の形への視線の向けられ方、その解像度の高さがそもそも違うというのがよくわかる。

構造を理解することと細部を理解することは表裏一体なのだ。

p.133の瞳の造形についての説明も素敵だ。これらはすべて、エンターテイメントにむけられた造形なのだ。

骨格 筋肉 血管 皮 肌と階層構造が重層していく構成が強調される。下部構造の混乱を上部で挽回することはできないことが繰り返し強調される。このあたり、いかにもテクトニックで、西欧的な造形だと感じる。

たとえば能面のような、張り詰めた表面の背後に形の無い闇を抱え込むような造形原理とは、まったく違っている。バレエと舞踏、頭像と能面……クリシェだが、やはり違う。

今度の休み、粘土を買いにいこう。

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